危機に直面する私の年代(後編)

 現在が難儀な時代になるとは、私は薄々感じていたものの、それ以上に、個人的に私という存在が会社組織には馴染めないだろうと感じ、また、私という存在そのものが就職という選択を欲していなかった。それにもかかわらず、生存していくためには就職という選択肢しかなく、そのため、私は就職してしまったのである。そして、数年後に現在のしましまブックスを開業したわけである。その経緯については、他で記述しているので、ここでは詳述しない。
 結局のところ、私は時代を先読みして会社を辞めたわけではなく、すこぶる個人的な事情からである。それがたまたま今の時代になって、結果的には良かったということになるのであろう。確かに、あの時、開業を決断することなく会社に留まっていたら、今以上に酷い生活になっていたに違いないし、今よりもさらに酷いワークプア状態になっていたに違いない。
 時代の流れ、換言すれば、社会構造の変化が早すぎるのであり、それに個人個人も、政府も、そして、実はそれを加速させている構造そのものも対応できないのが実情であって、特にその影響を受けてしまったのが、私たちの年代ということになるのであろう。しかしながら、時代の潮流というものは、その直中にいるときは、何も感じないものなのであり、振り返ってみて、はじめて気が付くという類のものなのである。したがって、危機に直面している私たち年代といえども、実は、どれだけの数の人が危機感を持って生活しているか、本当のところはわからない。意外と少ないのかも知れない。しかしそれでは、私たち年代は今後も日陰の年代となってしまうのであり、個人個人がそれぞれの生活の中で、危機意識を持った行動をしなければならない。さもないと、私たち年代は本当に時代の中に埋没してしまうのである。