会話の難しさ

 大臣のろれつの回らない会見が問題になったけれど、果たして自分はいかがであろうかと思う。私がお酒を飲み過ぎている時、自分がどういう状況になっていて、果たしてしっかりと話せているのか、これは全くわからない。朝起きても記憶は断片的だし、どのような喋り方をしていたか、私は私を見ることができないので、全くわからないし、無理やり思い出そうとすると、同席した相手に何か失礼なことを言ってしまったのではないかと、どうも不安になってしまう。これは別にお酒を飲んでいない時も多々あって、誰かと会って別れたあと、ふと自分が喋ったことをフラッシュバックではないかと思うほど鮮明に思い出して、相手に不快な思いをさせてしまったのではないか、或いは自分は少しおかしい奴と思われたのではないかと不安になってしまう。だから、口は災いの元という言葉が私の頭を離れず、寡黙なことこそ最良なのではないかと考え、普段の私はとても寡黙なのだ。(本当かしら? 頭の中で何も考えず喋る時、我を忘れるという言葉が最適かも知れないが、言わなくてもいいことを喋っている時があり、その後、私はまた同じ不安に苛まれる)けれども、あまり寡黙になり過ぎても、つまらない奴と思われてしまうので、会話というものは本当に難しい。意識すればするほど難しいのだ。
 これは、状況と立場で違ってくるのだろうと思う。気心知れている相手である場合は、多少ヘンなことを言っても、お互いのことを理解しているので、あまり気にしなくても済む。逆に初対面の場合ほど慎重に言葉を選ばなければならない。日常の会話はアドリブであるから、これが難しいのだ。歳を重ねるごとに、気心の知れていない相手と会話をすることが多くなったのか、最近は特に難しさを痛感する。逆に気心知れている相手と会うことが少なくなったのか。
 ひとつ、ひとつ喋ったことを、思い出して不安になるのは、まったく無駄な悩みであると思うのだが、これは性格のせいかも知れず、どうしようもできないと思うので、また私は寡黙になってしまう(本当?)