『のたれ死に決意したら』
古本屋を開業して人からよく訊かれるのが、「何で古本屋をはじめたのか?」という質問である。本が好きだからという答えしかないのだが、実は開業を決意する少し前までは古本屋をはじめる気はなかったのである。
私は社会に出た頃、いつも不安で不安で仕方がなかった。その不安とは常に生活の不安であり、換言すれば死への不安である。何か成そうかと思うと常にリスク面ばかりを考えてしまい、マイナス思考に陥り、結局なにも成さない。会社に所属している時でさえ、いつクビになるかわからないという不安があり、そしてクビになった時の顛末、お金がなくなり、家を失い、飢え死にしてしまう・・・・、そのようなことばかり考えていた。常にネガティブな思考パターンであったから、いくら本が好きでも、古本は今の時代は売れないと知っていて、古本屋をやろうという気にはなれなかったのである。
そこで、最初に考えたのが、ある程度安定している大手の出版社に入ることができれば、自分の好きなことができて、生活も安定するのではないかということであった。そのような時に宮原昭夫先生にお会いする機会があり、そのことをちらっと、お話すると、後日、『のたれ死に決意したら』という短いエッセイを先生より送っていただいたのである。
そのエッセイは、先生も若い頃、やはり不安で不安で仕方がなかったのだが、ふと、「食いっぱぐれはしまいかと思うから焦り怯えるんだ。いっそ、ぜひ、のたれ死にをしてやろうと思えばおびえも焦りもなくなるじゃないか」という想念が浮かび、その途端に心が晴ればれして、文学の道へと進んだという内容であった。そのエッセイを読み終えると同時に、私までもが晴ればれとして、そうか、のたれ死にしてもいいじゃないか、どうせのたれ死にするのならば、好きなことをしてのたれ死にしてやろう、と開き直ることができ、最終的に古本屋をはじめることができたのである。したがって、宮原先生のエッセイを読まなければ、そして、送っていただかなければ、しましまブックスは誕生しなかったのであり、私はいつまでも鬱々とした会社員を続けていたに違いなかったのである。
そのお礼をいつか言おう、いや、言わなければならないと思っていたのだが、少々照れくさくもあり、また、その機会もなかったのだが、とうとう先日の編集会議後の飲みの席で、そのことを話し、お礼を言うことができたのである。はじめに宮原先生に言ってからでなくては誰にも言えぬ、ということがあり、ようやくこの『しましまな日々』にも記することができたというわけなのである。
だから私にとって、その短い『のたれ死に決意したら』というエッセイは大切な作品なのである。来年出版予定の宮原先生の本は小説選集なので掲載されることはなく、それが少し残念なのであり、もう少し私の胸の内にしまって置くほかはなさそうなのである。
私は社会に出た頃、いつも不安で不安で仕方がなかった。その不安とは常に生活の不安であり、換言すれば死への不安である。何か成そうかと思うと常にリスク面ばかりを考えてしまい、マイナス思考に陥り、結局なにも成さない。会社に所属している時でさえ、いつクビになるかわからないという不安があり、そしてクビになった時の顛末、お金がなくなり、家を失い、飢え死にしてしまう・・・・、そのようなことばかり考えていた。常にネガティブな思考パターンであったから、いくら本が好きでも、古本は今の時代は売れないと知っていて、古本屋をやろうという気にはなれなかったのである。
そこで、最初に考えたのが、ある程度安定している大手の出版社に入ることができれば、自分の好きなことができて、生活も安定するのではないかということであった。そのような時に宮原昭夫先生にお会いする機会があり、そのことをちらっと、お話すると、後日、『のたれ死に決意したら』という短いエッセイを先生より送っていただいたのである。
そのエッセイは、先生も若い頃、やはり不安で不安で仕方がなかったのだが、ふと、「食いっぱぐれはしまいかと思うから焦り怯えるんだ。いっそ、ぜひ、のたれ死にをしてやろうと思えばおびえも焦りもなくなるじゃないか」という想念が浮かび、その途端に心が晴ればれして、文学の道へと進んだという内容であった。そのエッセイを読み終えると同時に、私までもが晴ればれとして、そうか、のたれ死にしてもいいじゃないか、どうせのたれ死にするのならば、好きなことをしてのたれ死にしてやろう、と開き直ることができ、最終的に古本屋をはじめることができたのである。したがって、宮原先生のエッセイを読まなければ、そして、送っていただかなければ、しましまブックスは誕生しなかったのであり、私はいつまでも鬱々とした会社員を続けていたに違いなかったのである。
そのお礼をいつか言おう、いや、言わなければならないと思っていたのだが、少々照れくさくもあり、また、その機会もなかったのだが、とうとう先日の編集会議後の飲みの席で、そのことを話し、お礼を言うことができたのである。はじめに宮原先生に言ってからでなくては誰にも言えぬ、ということがあり、ようやくこの『しましまな日々』にも記することができたというわけなのである。
だから私にとって、その短い『のたれ死に決意したら』というエッセイは大切な作品なのである。来年出版予定の宮原先生の本は小説選集なので掲載されることはなく、それが少し残念なのであり、もう少し私の胸の内にしまって置くほかはなさそうなのである。