私達世代

1月から朝日新聞で「ロスト・ジェネレーション」という連載がスタートした。ロスト・ジェネレーションとは、現在25歳〜35歳ぐらいまでの人達のことを指し、バブルの崩壊と共に少年期を過ごし、戦後未曾有の就職難の時に社会へと出て行った人達のことをそう名づけている。就職がなく、派遣社員となっても賃金も最低水準で、職業スキルが身につかないから、転職も難しく、疲弊しきっている・・・・・、これはひとつの断片に過ぎないが、そのような世代である。それを読んでいて、ふと思い出したことがある。実は私はこの世代の只中の年齢で、まさに渦中の人間であり、今から5、6年前あるところに、「不遇の世代」という似たような内容のエッセイを書いていたのである。今頃になって社会問題となっているが、随分と気づくのが遅いなあという感じである。ここ数年、目まぐるしくて、すっかりあの時のことを忘れていたが、意外と私は感性が鈍いようで、鈍くないのかも知れない。
私は学生を終える頃から、もう会社組織に頼るような社会ではないと感じ、そして、なによりも自分は会社組織には合わない人間なのだろうと感じて、会社組織に頼らないための生き方というものを模索していた。実験的に商売に似たことを行ったこともある。いまから思えば、単純に満員電車に乗りたくないというだけであったのかも知れないが、現在のような社会で生きるための身構えみたいなものが、自然とできていったのかも知れない。しかしながら、結局は就職を一旦してしまうのだが、このような時代だからまともなところに就職することはできずで、私が目にしたものは、疲弊しきって社員同士で協力することや新人を教育することすらできない人達、想像力が欠如してまともなリーダーシップがとれない経営陣・・・・。会社と人間が本当に疲弊しきっていた。しかし、私にとってこの会社勤めは、短い間であったが、反面教師として本当に勉強になった。如何にすればこのようにならないのかを考えるうえで、或いは、社会の現状と厳しさを学ぶということにおいて。
失われた10年の間、私は自覚しながら或いは無自覚なまま、このような社会で生きるための方策みたいなものを考え、行動していたのだろう。最終的な結論としては、自分が好きな事、楽しいこと、得意な事、継続できる事を念頭に置き、貧乏でも構わないからと、古本屋という仕事を選んだのである。収入面から言えば、サラリーマンの方が高いかも知れない。しかし、私は充足しているのであり、後悔もしていない。
このようなことを書くのは、偉そうでとても嫌なのだが、同世代の友人から職業や仕事について相談されることが多く、ここに書いてしまって相談事を全部済ませてしまおうという魂胆なのである。
今の生活から抜け出したいと思っている人は、とにかくまずは勇気を持って行動してみることである。以前ここに詳述したが、私は「のたれ死に覚悟」して自営業をはじめたのである。そこまでやりたくないという人は、今の仕事は辞めずに、休日を使って、試しに副業的になにか自分の思うことをはじめてみることである。なるべくなら自分が好きな事、楽しいことをはじめるといい。試してみることである。労力を惜しんではいけないのであり、自分が楽しいことは苦にならないのである。そのようにして、会社に頼らない体質みたいなものを身につけておいた方が、独立した時、或いは会社が倒産した時などには有利であろう。また、私の友人で、自分のやりたいことを雄弁に語る人がいるが、そういう人に限って、いつまでたっても行動を起こそうとしない。もう自分のやりたい事が決まっている人は、とにかく行動するべきである。これは間違いなく言えることである。
それから、自分は何をしていいのかわからない、或いは、自分は何が好きなのかわからないという人もいる。そういう人は、休日には、積極的に外へ出て、色々な人と話したり、世の中にある職業を観察してみることである。私も学生の頃は、色々なところへ出かけて、レストランのボーイの動きや、洋服屋の店員の動きなどを観察して、自分がもし店員であったら楽しいのだろうか、また、楽しくするにはどうすればいいのだろうかとよく想像していた。これが役に立つのかどうかはわからないが、何かが生まれてくる可能性はある。
私達世代は「ロスト・ジェネレーション」などと命名されてしまったが、失われたからこそ、鞄の中が空になって、何か新しいものが入る余地がある。私達が行動を起こすとすれば、後でもなく先でもなく、社会構造が変革期にある今しかない。今こそ、不完全燃焼であった生き方そのものを、自分があるべき方向へ変える時にきているのである。