切ない夜

 切ない、という言葉が適切だとも思わないが、そういった感じの哀切きわまりない小説を読むと、無性に人恋しくなる。こういう時に限って、だあれもお店に人が来ない。意外と広い店内で、ひとりぽつねんといると、本当に遣る瀬ない。居ても立ってもいられなくなる。手が空いている時こそ、仕事をしなければならないのだが、その気も起こらない。お、メールでも送ろう、そう思ってしまうのだが、沈んだメールは迷惑だろうと、男の痩せ我慢でそれも送らない。
 そして、「ウィスキーがお好きでしょ。もう少ししゃべりましょ・・・・」などと、ひとり口ずさみ、やっぱりこの歌は、ゴスペラーズよりも石川さゆりの方が切なくていいな、なんて思いながら、ウィスキーを飲んでしまう。俺は結局、この台詞を言うことができなかったな、そう思ってひとりで苦笑してしまう。「わたしは、氷。あなたはウィスキー」とポツリ独り言をつぶやいてみる。これは、女性の台詞だったかな? 俺が言ったら、おかしいか。また私は苦笑してしまう。
 夜も十一時を過ぎた頃だろうか。入り口のドアが開いて、七十歳を越えたであろう老人がひとり入ってきて、カウンターに座った。徐に、プラスチックのパックに入った干瓢巻きを手に持っていた袋の中から取り出して、
「あなたも半分食べませんか?」と言った。
「ありがとうございます」
「この歳になると、なんだか夜が寂しくてね・・・・」と少し照れ臭そうに口元に笑みを浮かべて老人は言った。この老人が独居で暮らしているのか、どこに住んでいるのか、その歳まで何をしてきた人なのか、私にはわからない。
「同じです」とそれしか私には言えなかった。そして、私と老人は、何かを話すこともなく、ただ黙りながらボソボソと干瓢巻きを食べた。「わたしは、海苔巻き。あなたは干瓢」そう言ってみたい衝動に駆られたが、おじいさん相手じゃ仕方ないな、そう思って、私は黙ったまま、いつまでも口に残る干瓢を咀嚼していた。