不快な時代

 現在の日本はどこかおかしい。年間三万人を超える自殺者、医療・福祉・弱者の切り捨てや、昨今の建築偽装問題、牛肉輸入問題、ライブドアショック等、日本社会は混迷を深めるばかりである。社会的なニュース以外の身近なところでも我々は、会社や日常生活において、日本社会の不気味さを感じている。この今の時代は我々にとって不快な時代である。
 私がまだ会社に所属し、サラリーマンをしていた頃、常に感じていたのが、会社組織の目的の不快であった。本来仕事とは、ある目的があり、それを遂行することにより、結果として利益が生み出されるものである。無農薬野菜を売る会社であるならば、消費者に安全でおいしい野菜を提供するという目的があって、それを遂行することによりはじめて結果としてその対価である利益が生み出されるのである。そして、そこにおける仕事とは、如何により安全でおいしい野菜を提供できるかを考えることであり、遂行することである。
 ところが、―私事になるが―私が所属していた会社は、その本来あらねばならない目的がお題目だけになってしまい、利潤の追求それのみが目的と化してしまっていたのである。そこにあるのは、お金だけであり、人間らしさや感情などが一切考慮されない体質に堕ち、無機質な薄ら寒い会社になってしまっていたのである。そのようなところに私が居る理由はなかったのである。
 何も、この会社だけの問題ではない。社会全体の問題であり、今の時代が不快である原因のひとつに、価値観の堕落があげられる。いわば、いたる所で見られる経済至上主義である。ライブドアショックでも見られたように、お金さえあれば何でも可能であるという虚妄。そして、お金、利潤こそが目的と化してしまった堕落。お金の分量が倫理の基準となってしまった堕落。そこには一切の本来あった人間の倫理観も介在することが許されない。本来の倫理すらも経済至上主義が席巻したのである。
 そしてこの事件は、一人の人間の仕業にすることは許されまい。日本社会全体の堕落してしまった価値観がこの事件を支えたことは間違いないのである。この事件が発覚する以前から、事件の張本人の行動や発言に倫理観は無かった。それを半数以上の国民は支持していたはずである。そして、そのような会社の株を買い支えたのも個人投資家である。自分の金銭的利益のために買い支えたのであって、株式投資の本来の目的である、その会社を資金面から助ける、バックアップするということで株は買っていないはずなのである。その証拠に、事件発覚後、売りが大量に出たではないか。本来は、会社の危機である時こそ、買い支えなければならないはずであるのに。我々ひとりひとりもこの事件を陰で支えていたのであり、我々ひとりひとりの持っている価値観にも責任があると言わざるをえないのである。
 現在の日本社会に蔓延し、個人にも浸透してしまった、金銭が全ての価値を上回る経済至上主義。しかし、より良く生きるという本来の倫理観、価値観を人間が失えば、一体そこには何が残るのであろうか。そこには薄ら寒い社会しか私には想像できないのである。社会の価値観を変えるには、安易なことではないのであり、どのぐらいの時間がかかるか、私にはわからない。しかし、今から社会の変革に着手しなければ、これからの日本に希望はない。そしてそれを行うには、まずは我々ひとりひとりの価値観から変えて行くことしかないのである。