結局古本屋
そろそろ卒業シーズンである。卒業とはひとつの分かれ道であり、人生の分岐点である。人間は生きている間、常に何がしかの選択を迫られているわけであるが、卒業する際の選択は、その後の人生を大きく変えてしまう大きな選択である。
当然ながら私は過去に大きな選択をし、今の自分があるわけである。しかし自分はその時、違う選択をしていたら、その後の人生は大きく今と変わっていたのであろうか。
大学卒業という大きな選択をしなければならなかった時、もし、自分が大手有名企業に就職していたら、今頃はカッコ良く一流ビジネスマンとして活躍し、年収も一千万。医者を目指したのであれば、やはり年収もかなり多く、女性にモテモテだ・・・・。と想像したものの、よくよく考えると、私の性格と嗜好そのものは変わらないのである。自分が厳しい会社組織に馴染めるわけがないのであり、毎日残業などの辛い勤務に耐えられるはずがないのであって、これは医者であっても同様である。私は私であり、変換不可能な私なのである。したがって、どこでどう選択しようとも、最終的には古本屋になったに違いないのであり、私が私である限り、結局は古本屋の人生なのだ。
当然ながら私は過去に大きな選択をし、今の自分があるわけである。しかし自分はその時、違う選択をしていたら、その後の人生は大きく今と変わっていたのであろうか。
大学卒業という大きな選択をしなければならなかった時、もし、自分が大手有名企業に就職していたら、今頃はカッコ良く一流ビジネスマンとして活躍し、年収も一千万。医者を目指したのであれば、やはり年収もかなり多く、女性にモテモテだ・・・・。と想像したものの、よくよく考えると、私の性格と嗜好そのものは変わらないのである。自分が厳しい会社組織に馴染めるわけがないのであり、毎日残業などの辛い勤務に耐えられるはずがないのであって、これは医者であっても同様である。私は私であり、変換不可能な私なのである。したがって、どこでどう選択しようとも、最終的には古本屋になったに違いないのであり、私が私である限り、結局は古本屋の人生なのだ。