うしろ姿
「あなたはどんな女性が好み?」と訊かれることがある。これは自分が考えるところ、正確な答えを出すのがとても難しい。「博愛主義ですから」などと適当な回答をするわけにもいかない。現実には不正確なことかも知れないが、自分の中でイメージしているものがある。それは、背中、或いはうしろ姿が少し淋しげな人がいいということである。
例えば、バーのカウンターで黙りながらひとりでグラスを傾けている女性の背中が淋しげであると、ついポンと肩に手を置きたくなってしまう。雨の中、傘をさしながらひとりで数十分、或いは数時間も誰かを待っているうしろ姿が淋しげであると、またそれが自分を待っている姿であるならば、うしろから抱きしめたくなってしまう。
淋しげなうしろ姿とは、何かを堪えている姿なのであり、堪えるということは、その抱えているものや感情を抑えておもてに出さないということであって、それが自然とうしろ姿にあらわれてしまう、そのような姿にどうも私は弱いのである。
私を知っている人は、「勝手なことを書きやがって。実際と全然違うじゃあねえか」と思っているかも知れない。だから現実はそう思うようには行かず、とっても厳しいのである。
例えば、バーのカウンターで黙りながらひとりでグラスを傾けている女性の背中が淋しげであると、ついポンと肩に手を置きたくなってしまう。雨の中、傘をさしながらひとりで数十分、或いは数時間も誰かを待っているうしろ姿が淋しげであると、またそれが自分を待っている姿であるならば、うしろから抱きしめたくなってしまう。
淋しげなうしろ姿とは、何かを堪えている姿なのであり、堪えるということは、その抱えているものや感情を抑えておもてに出さないということであって、それが自然とうしろ姿にあらわれてしまう、そのような姿にどうも私は弱いのである。
私を知っている人は、「勝手なことを書きやがって。実際と全然違うじゃあねえか」と思っているかも知れない。だから現実はそう思うようには行かず、とっても厳しいのである。