夢の中へ

 電話で友人と話していたのだが、その友人は夜早くに寝て、夢を見るのが楽しみだと言うのである。過去に一回だけ、お気に入りの芸能人と遊んだ夢を見たそうである。それ以来、その芸能人とのカラミの夢は見ていないそうであるが、夢の直中にいるときは、夢こそ現実であり、現実こそ夢なのであって、仮に夢が継続すれば、或いは、現実の世界より夢を見ている時間の比率が多ければ、夢が現実となり現実が夢となると主張するのである。しかも、現実は己の肉体に束縛されているが、夢の世界では解放される。例えば、空を飛べたり、海中を長時間潜水したりできる。したがって、夢を現実にするべく早くに寝るのだ、と言うのである。
 これはまさにコペルニクス的転回、パラダイムシフトである。すぐに影響される私は、どこかの国王になった夢でも見たいと念じつつ、いつもより早く寝たのである。すると、意識したせいか、夢を見たのである。砂漠に一件コンビニがあり、そこで私が百円の豆腐を買うか、百五十円の豆腐を買うか思案しているのである。迷ったあげくに、結局安い方の豆腐を買い、それを砂丘に座って独りで食べるが、とてもまずい豆腐であり、高い方を買えばよかったと後悔する夢である。
 夢でも、貧乏性は変わっていないではないか。早速、友人にその旨を話すと、確かに夢の中でも己の性格だけは変わらない。しかも、夢はそれが如何に素晴らしい夢であっても、一度中断してしまうと、継続して見るのはほぼ不可能である。それとは対照的に、現実は、どんなに願っても必ず継続するのだ、それが夢と現実の決定的な違いであると言うのである。つまらない夢から覚めた私には、それ以上に、今日も辛い現実がやって来るのである。