古本と個人の資質

 今日は川崎市内のお客様のところへ出張買取。そのほとんどが小説であった。あまり高値で買取ができず大変申し訳なく思う。そこのお客様にも話したのだが、最近は小説や文学研究の類がほとんど売れない。どうも、最近の若い人は考えることをしない、或いはめんどくさがる人が多いようで、漫画であったり、写真関係であったり、ビジュアル的なものしか買わない傾向があり、結局思考しなくてもすむものしか読まないということなのである。
 人間は、先代より文化を継承することと、新しい文化を創造することのふたつの義務があると私は思っている。これは、勤労、納税、教育の義務よりも先立つものであり、人間の根源なのである。そして、古本屋というものは、その前者である、文化の継承の一翼を担っているのであり、それを遂行するべく、しましまブックスを始めたわけである。後者の文化の創造に関しては、一応、個人的に三文小説を書いたり、文学論文を書いたりしている。そして、このふたつと経済活動がうまく融合するかが現在の私の課題なのであり、今のところ厳しい状況にある。
 大手資本は、マスメディアその他を使って、宣伝広告をし、個人の消費活動を操作する。―私も例外なく操作されているはずなのであるが、モノを消費するお金がないので、あまり従順に動かない。しかも、私にとっての消費は快楽ではなく苦痛である。普通の人にとっては快楽なのであろうが―
 それに対して、古本とは当然中古なのであり、深い意味での消費、拡大再生産にはならないのであって、大手資本が介入することは過去にも現在にもほとんど例がない。古本を売るには、純粋に個人の資質と志向に縋るしかないのである。そういった意味で、最近の若い人の傾向は憂慮に値する。せめて消費活動の十分の一でも古本に振り分けていただければ、そして、もう少し思考することに興味を持っていただければと、ただ願うばかりなのである。