富士山の思い出 前編

 今期の富士山は雪が少ないそうである。どうも冬型の気圧配置が強いせいであるらしい。
 富士山には今までに一度だけ登ったことがある。私が大学生か院生かその頃であったと記憶している。当時、私は何をやってもすぐに諦めてしまうヘタレであったので、これではいけないと思い、せめて富士登山に成功すれば、ヘタレが克服できると思ったのであり、また、御来光を見ると人生観がかわると聞いたからなのである。
 思い立ったらじっとしていられない性格である。早速、周囲の人間に富士登山決行を言いふらし、自分はヘタレではないことをアピールした。季節は九月の下旬頃であったので、富士山は既に閉山していたのであったが、そのようなことで諦めていたらヘタレは克服できない。しかし、山の素人が単独で登頂するのも不安であった。そこで、富士登山決行の二日前に旗本退屈男のM君を誘った。このようなおかしな企画に参加するのは彼しかいなかったのである。
 登山計画など素人が立案できるはずがなく、だいたい二十二時あたりから登り始めれば、御来光を拝めることができるだろうとのことで、決行当日、夕方に集合し、ライトなどを買い揃え、富士山へ向かった。
 登山口は素人向きだと聞いた河口湖口から登ることにし、東名高速を車で走っていたのであるが、近づくにつれ、周囲の景色が寂しくなり、明かりも乏しくなってしまい、最初威勢のよかった私とM君の間に、徐々に不安が漂い始めた。河口湖近辺のファミリーレストランで夕食をとるも、シーズンオフの観光地は本当に寂しく、そのレストランも客が疎らであったので、さらに私とM君は不安になり、本当に富士登山を決行するのか、という雰囲気になってしまった。しかし、ここで諦めていたらやはりヘタレは克服できないのである。
 私は意を決して、河口湖口へ向かった。途中、河口湖口まで行くには有料道路を通行しなければならないのであるが、予想もしなかった事態が起こったのである。なんと、その道路が閉鎖されており、通行できる時間は朝からとのことであった。またもや二人の間に諦めモードがひろがる。これは、私自身の問題ではなく、外的要因であるから仕方のないことではある。しかし、周囲の人間に富士登山を言いふらしてしまった以上、ここで諦めるわけにはいかない。ここで人間の本当の強さが試されるのである。私は考え、登山口を須走口に変更し、そこへ向かったのであった。

以下、後編へ続く。明日以降掲載予定。