店主の古本買取日記

徒然なるままに・・・・店主の古本買取りや日常のあれこれです。

527

 ファミリーレストランで、ライス大盛り無料というところがある。ちょっとしたサービスで、食べる人にとってはありがたいのだろう。大体が何かのセットを注文すると、ライスにするかパンにするかを選択しなければならない。私はライスと言ってしまう場合が多いのだが、パンを選んだ場合、「パンは大盛りに致しますか?」と言われることはない。ライスだけでは、ちょっと寂しい。
 実は先日、ファミリーレストランでランチを食べる機会があり、その時、一緒にいた人がライスを大盛りにしたのだが、平皿に、山になったライスが出てきて、驚かされた。本当に山になって盛られていた。きっと、適当に目分量で盛るのだろうが、最近、なんでもビッグサイズにするのが流行っているから、これも、そのひとつなのだろうか。ちなみに、私は何でもスモールサイズです・・・・。

そうそう、5月23日(日) 新橋古本まつり搬入のため、店舗お休み致します。
ご了承くださいね。
また、5月29日(土)搬出のため、お休み致します。
ご了承ください。
 ゴールデンウィークでは、普段逢うことのできない友人達と逢うことができた。そのうち、一番多く言われたことが、「痩せたね」という言葉だった。
 スタイルをあまり気にしない私は、別段どういうこともないのだが、久々に体重計に乗ってみると、確かに通常時の体重に比べて三キロ減っていた。うむむ、この原因は何だろうと考えてみる。最近のお昼ご飯は、近所のスーパーで買ってくるインスタントラーメンが多く、たまに、おにぎり。あまり、量は食べない。夜も、お酒を飲んでしまうと、あまり量は食べない。このせいかも知れないと思いつつ、勤務時間が長いせいかも知れず、午前中に打ち合わせや買取などで出掛けることになってしまうと、軽く十五時間は越えてしまう。何もない時でも、十二時間は職場にいる。また、職場から家まで、歩くことが多く、片道二十五分ぐらいは歩く。はっきりとした原因はわからず、太るよりかはいいかとも思い、今日も仕事をしている。
 「本が好き」という感じではなくても、当店は来店される方が多くいらっしゃる。本が好きな方と、別にそうでもない方、半々ぐらいかも知れない。ただ、最近は店を開けていると、誰かしらやって来きて、カウンターに座り、話をされて帰るといった感じで、退屈しない。無論、私が店にいない時もあって、そういう場合は、帰ってしまう方もいるそうで、大変申し訳なく思う。でも、出張買取へ行ったり、他の仕事で出掛けたりで、遊んでいるわけではないので、お許しを。
 夜にお客さんがやって来ると、つい、一緒に呑んでしまい、他のお客さんからすれば、店員がいつも酔っぱらっているような、とんでもない店だとの印象があるかもしれない。今週なんて、毎晩呑んでいたような。まあ、いいか。などなど思いながら、なかなか時間がとれなくて、この日記を書く時間もあまりとれない有様。お許しを。
 今日は、昼過ぎから所用あって出掛けたのだが、途中、立ち食い蕎麦を食べることにした。もり蕎麦、三百円也。立ちながら食べていると、隣で二人連れのサラリーマンが、ぶつぶつと蕎麦の味について文句を言っている。私、意外と満足して食べていたのに、隣の文句を聞いていると、なんだか悲しくなる。三百円、なのだから、やはり値段なりの味だろう。文句言うのなら、もっといい蕎麦屋で食べなさいよ、と言いたいところだが、堪える。三百円で文句を言うのだから、悲しい。悲しい蕎麦になってしまった。まだ怒っていないだけマシだが、たまに、安いファミリーレストランなどで、どう見ても怒る場面でもないのに、店員に怒っている人がいる。そういう場面を見ると、それなら、もっときっちりとした高級店にでも行きなさいよ、と思う。特に、そういう人と同席していた場合、場がつまらなくなってしまう。威張りたいのか、何なのか。とにかく、了見が狭い人だなと思って、悲しくなってしまう。文句を言うにしろ、怒るにしろ、場をわきまえて、同席した人のことも考えて、せめて一人でいる時にでも、してもらえればと思う。ああ、悲しい。
 悲しみに打ちひしがれて電車に乗ったら、逆方向の電車に乗ってしまった。
 四月。入社式や入学式が催される。そこに参加する彼等彼女等へ、「おめでとう」という言葉を贈っていいものか、いつも戸惑う。本当にめでたいのだろうか、と。
 私の場合、入学式のことなどは、ほとんど記憶がない。別に嬉しくもなかった。ああ、止めた。こんなことを書いても夢がない。
 今年も我が社は、新入社員ゼロ。ゼロ採用。四月といえども変化なし。さらには、決算月が三月ではないので、期が新しくなったわけでもない。せめて花見でもと思うけれど、こういう時に限って催事があり、それも叶わない。ああ、また夢がない。
 それでも、四月。世間では新しいことの始まり。新しい発見があり、新しい出会いがあり、新しいことへの希望があるはず。古いものばかり扱っている商売だから、新しいものを忘れてしまった。
 春ですな。春だから、春なのに・・・・、連休だからといって、誰からも誘いもないし、私は結局セコセコ働くしかないのです。ポケットの中にはビスケットがひとつ。いつの間にか、ビスケットも粉々になってしまいました・・・・、だから、ポケットにビスケットがいっぱいなのです。あら、何を書いているのだろう。春だから?
 明日3月20日、私の受け持つ時間は少ないが、ひとつ講演をしなければならなくなった。結構、人が集まるそうだ。なんということだろう。頼まれると、断るのも悪いし・・・・、と仕方なく思って受諾してしまったが、あまり気が進まないことは言うまでもない。過去にも講演とか、ラジオやテレビの出演などもしたことはあるが、生来私は真面目人間? 一応そういう人間なので、依頼者の依頼通りに話してしまうので、自分で話していてまったく面白くない。ここで突然に全裸にでもなれば、面白いな、放送禁止用語連発なんてどうだろう、などと思うことはあっても、やはり、それもできない。そのようなことが多々あるので、あまり私の為になっていないような気がしてしまい、あまり気乗りしない。それに、大勢の前での講演は、聞いてくださる方ひとりひとりのレベルや期待することが違うはずであり、話の内容を考えるのがとても難しいし、正直、当たり障りの無い話になってしまう。講演するなら、せめて、数人の少人数制がいい。
 やはりお話をするなら、自分のお店で酒でも呑みながらお話するに限る。本当のところ、どうなの? ということも話せるし、楽しいし、私の為になる。だから、少しでも興味があったら、直接、しましまブックスにお越しくださるのがいい。あなたの為だから。そして、私の為だから・・・・。
 そのようなわけで、いつもお越しくださる、しましまファミリーに感謝の念でいっぱい。とりあえず、しましまファミリーは今のところ、ゴットファーザーがひとり、長女がひとり、長男ひとりに、次男がひとりかな。ファミリーには、講演などで話せないことも話します。その他いっぱい、エトセトラ・・・・。とは言っても、しましまファミリーになりたい方なんて、ほとんどいない。
 個人的な契約書やら、そういった類の書類を書く時、勤務先や、そこでの肩書き、おおよその年収などを書き込まなければならないことが多い。私の場合、なんとなく周囲をびっくりさせたくて、しなくてもいいのに株式会社にしてしまい、そしてまた、一応は私が100%当社の株式を保有しているので、取締役会長なんて肩書きもつけてしまって、とにかく、全てが洒落と申しましょうか、なんとなく、面白くしようと思ってしてしまったことなのだが、これがまた、いけない。
 昨日、ひとつ口座をつくろうと思って、証券会社へ行くと、やっぱり書かされるのね、その書類。カウンター越しの受付のおねえさんの目が、やっぱり注目している、会社名と、その肩書き。ああ、恥ずかしい。やっぱり、そんなことしなければよかったと思いつつ、書き込むと、おねえさんは、「これは、株式会社 ほほブックスグループですか? 非上場会社ですよね」と言う。ああ、違う。もっと恥ずかしい。私は字が下手なので、「しましま」と書くと、時として、「ほほ」と読まれてしまう場合がある。「いえ、『しましま』でございます」と私は、俯くしかなかった。この場を乗り切ろうと、「ほほ・・・」と笑ってみたけれど、その笑いはおねえさんに無視されてしまった。しかも、見てる見てる私の肩書き。
 続いておおよその年収を書くのが、一番恥ずかしい。株式会社の会長が、ほんとうにその年収なの?! みたいなその視線。ああ、嫌だ。「古本屋とは、こんなもんさ!」と言いたいがそうとも言えず、「あの、所謂、洒落なのですけれども」とも言えず、やはり、私は俯いて顔を赤くするしかなかった。そして、ふと気がつけば、窓口が閉まらないうちに行かなければと思い、寝起きで家を飛び出したので、髪は寝グセのままで、髭は剃っていないし、昨日夜おそくまでお酒を大量に飲んでいたもので、そのままで寝てしまい、さらに服は昨日のままだし、服のシワはすごいし、一体私は何なんだ? と思ってしまい、まともにおねえさんと視線を合わせることができなかった。
 小心者のシャイ・ボーイでありながら、こういうお粗末なことをしてしまうこの私は、やはり一体何なのだろうと思い、心の中で、こう呟くしかなかった。「私にとって、人生そのものが、所謂、洒落なのです」
 切ない、という言葉が適切だとも思わないが、そういった感じの哀切きわまりない小説を読むと、無性に人恋しくなる。こういう時に限って、だあれもお店に人が来ない。意外と広い店内で、ひとりぽつねんといると、本当に遣る瀬ない。居ても立ってもいられなくなる。手が空いている時こそ、仕事をしなければならないのだが、その気も起こらない。お、メールでも送ろう、そう思ってしまうのだが、沈んだメールは迷惑だろうと、男の痩せ我慢でそれも送らない。
 そして、「ウィスキーがお好きでしょ。もう少ししゃべりましょ・・・・」などと、ひとり口ずさみ、やっぱりこの歌は、ゴスペラーズよりも石川さゆりの方が切なくていいな、なんて思いながら、ウィスキーを飲んでしまう。俺は結局、この台詞を言うことができなかったな、そう思ってひとりで苦笑してしまう。「わたしは、氷。あなたはウィスキー」とポツリ独り言をつぶやいてみる。これは、女性の台詞だったかな? 俺が言ったら、おかしいか。また私は苦笑してしまう。
 夜も十一時を過ぎた頃だろうか。入り口のドアが開いて、七十歳を越えたであろう老人がひとり入ってきて、カウンターに座った。徐に、プラスチックのパックに入った干瓢巻きを手に持っていた袋の中から取り出して、
「あなたも半分食べませんか?」と言った。
「ありがとうございます」
「この歳になると、なんだか夜が寂しくてね・・・・」と少し照れ臭そうに口元に笑みを浮かべて老人は言った。この老人が独居で暮らしているのか、どこに住んでいるのか、その歳まで何をしてきた人なのか、私にはわからない。
「同じです」とそれしか私には言えなかった。そして、私と老人は、何かを話すこともなく、ただ黙りながらボソボソと干瓢巻きを食べた。「わたしは、海苔巻き。あなたは干瓢」そう言ってみたい衝動に駆られたが、おじいさん相手じゃ仕方ないな、そう思って、私は黙ったまま、いつまでも口に残る干瓢を咀嚼していた。
「いやあ、難しいね・・・・」と、ある会話の中で私が言ったら、
「難しいと言ったらダメ。そこで全てが終わってしまう。しっかり考えれば簡単なことなんだ」と言われて、私は愕然とした。
 思い返せば、私は何かに行き詰った時、それは、会話でも思考でも現状でも、どのような場面においてでも、「難しいね」という言葉を意外と多く発する。本当に多く。今まで、それに気が付かなかったのだ。確かに、難しいと発話した瞬間に、全てがそこで解決のない終結を迎えてしまう。うむむ、なんということであろうか。このような教えを授けてくれた人が今までにいなかったので、少し鳥肌が立って、よし、もう「難しい」とは言うまい、そう思って会話を続けていると、
「ほら、難しいと言った」「また、言った」「今度も言った」と言われてしまった。私はペロリと舌を出すしかなかったけれども、結局、「難しい」と発話する私は常に何かから逃避しているのだということが曖昧としながらもわかって、また愕然とするしかなかった。しかし私は、一体、何から逃避しているのだろう。思考すること? 煩悶すること? 痛嘆すること? 現状から? 世界から? 自分自身から??
 そんなことを考え、今日も閉店後にウィスキーをストレートで煽って、これを書いている私。結局、お酒も逃避ですかな? いやあ、難しいね・・・・・。
 潮の香りが、妙に懐かしかった。昨日は所用あって、港の辺りまで出掛けたので、ついでに、その近くの海岸公園まで足を伸ばしたのである。別に私は海の男でもないし、海の近くに住んでいたということもない。けれども、潮の香りは私に暖かく、心が和んだ。私はベンチに腰を掛けた。すぐ近くで、遊覧船が海上を滑っている。波がコンクリートに衝突して、小さく砕ける。空では鴎が旋回している。何の変哲もない風景だったが、私は退屈することなく、それらを見続けていた。こういう時は、誰からも話しかけられたくないものである。幸い、私に話しかける人は、この時もそして普段もいなかった。
 どのぐらい海を眺めていたのだろう。気がつくと、丁度正面の海を隔てる鉄柵の前に、一人の青年が立っていた。その青年は、手を胸の辺りにまで持っていって、海に向かってひたすら拝んでいるのである。私は、その青年が海に何を祈っているのか、問いたい衝動に駆られたが、その青年も私と同じで、誰にも話しかけられたくないのだろう、そして、もし、私が誰かから、長い時間海を眺めている理由を問われても、答えることができないのだ、そう思って静かにベンチから立ち上がり、その公園を後にした。
 帰りの電車は、潰される程ではなかったが、それでも自由に手を伸ばせない程には混んでいた。私はドア際に立ち位置を決めた。電車が動き出すと、すぐ横に立っていた女性が徐に鞄から缶コーヒーを取り出して、パチンとそのフタを開けて、飲みだしたのである。コーヒーの甘い香りが、私の鼻腔を満たしたが、私はその香りに何も感じることはなかった。何故、混雑している車内で缶コーヒーなのだろうと問いたいところであったが、やはり私は黙って、後ろへ流れていく街の風景を窓ガラス越しに眺めていた。
 例えば、東京など歩いていれば、たまには、テレビで見たことのある方に出会うことがあるだろう。私はプライベートでは滅多に東京方面へは行かないため、あまりそういった有名人に出会ったことがない。そのむかし、仕事でご一緒したことはあるけれど、別段サインを貰いたいと思ったわけでもなく、ただ一緒に仕事をしただけだった。
 けれども、世の中には色々な方がいて、有名人を見かけると直ぐに声を掛けたり、サインを強請ったりする方もいて、勇気がよくあるものだと思う。
 先日、仕事で東京方面まで行ったのだが、ある駅前の路地を歩いていると、テレビで見たことのある方が前から歩いてきたのである。ただ、お名前が出てこなくて、おや、と思ったその瞬間にすれ違ってしまった。やはりその時も私はサインを貰いたいとは思わなかった。仕事の契約書のサインであったら、貰いたいと思うのだが・・・。
 あくまでも私がいいと思う作家は、書くという行為に関して、必ずそこに必然性というものが感じられる作家である。もっといえば、書くことによってしか救われることがなく、必ずそこに書かねばならないという必然性がある作家である。
 実は、私は過去に大学院に在籍し論文めいたものを書いてきたし、プライベートでは小説めいたものも書いた。そして、縁あって、私が研究していた作家の小説集を編纂するという光栄もいただいた。当時から、私は文筆を生業にしてはいなかったが、それなりの評価をいただいていた。その頃は書くという行為に関しての憧れめいたものがあったのであり、そういったもの、世界が好きであるということがあって書いていたに違いなかった。そしてある時、私は書かなくても生きて行ける、生きて行く事ができる、しかも、書くために、わざわざ深刻に何かを考えて生きることは、私にとって何になろうか。結局のところ、私には書く必然性が皆無なのだ、と感じて、筆を折ってしまった。換言すれば、私は文筆業で生きていくという天命は授かっていない、必然どころの話ではない。だから私は筆を折ってしまったのである。
 それでも、好きなことを職業にするしかなく、古本屋というケチな職を選んでしまったわけであるが、こういうお店を営業していると、昔の私と同じような志向を持った方が来店される。そして、お話しているうちに、「それじゃあ、次は、書いた作品を持ってきてくださいね。是非、読ませてください」となって、読ませていただくわけである。昔から私は、数々の所謂、作家志望の方の作品を読んできたが、結局のところ、読むのが苦痛になるぐらい、そこには何も無い作品が多かった。けれども、今回は違う。技術面と方法論の甘さはあるが、作家になる必然がある、そのぐらいの強いものを作品から感じて、卒倒しそうになった。世界観が似ているということも一因にあると思うが、この人は、作家だ、作家になる。そう思ってしまったのである。そのように感じたことを、正直にお話したと思うけれども、やはり私も人の子である。悔しいという言葉とは少し違うし、刺激を受けたという言葉とも違う。昔の自分を見ているようで、そうでもない。何とも言葉では言い難い気持ちになって、私も書こう、また書こう、そう思ってしまったのである。
 ・・・・・最近ちょっと、夜に来店される方が増えまして、これは酔いながら書いているから書けるのです。また、恥ずかしいことを書いてしまった。
 うんうん、と私は頷いて、ニタニタと笑った。先週の金曜日の夕刻、競馬好きの常連さんが新聞片手にやって来て、競馬のG1、フェブラリーSの予想を語ったからである。今回は武豊騎乗のリーチザクラウンは一番人気になっていないようで、配当から言っても狙い目であると言うからである。実は私の考えと一致していた。私はまた、ニタニタと笑って、勝った時のことを想像していた。そうだ、海外旅行だ、このレースを当てて、海外へ行こう・・・・。
 私の中で悪い虫が蠢いてしまった。元来私はこう見えても、(他人からどう見えているかはわからないが)ちょっとだけギャンブル好きであり、これまで規模の小さい勝負をしては負けてきた。(小さい負けというのが、私がスケールが小さい人物であるという一側面なのです)その度に後悔して、もう二度とやるまいと思ってきたのであり、ここ数年は遠ざかっていたのである。それでも、馬券を買わずにはいられない心情になってきてしまったのである。
 結果は、惨敗。嗚呼、惨め。私の夢も、お金と共に何処かへ飛んでしまった。実は、遠ざかっていたと言っても、正月休みには、川崎競馬へ行き規模の小さい敗北を喫した。続いて競艇へ行って、少しだけプラスであったのだが、一杯呑めば無くなってしまう額であって、海外旅行へ行ける程の額ではなかった。(またまたこれが、私がスケールが小さい人物であるという一側面なのです)まったくもって、情けない。そして、また、週末が来た。先週の負けを挽回しようか・・・・。
 私は、自分の店から家まで帰るとき、歩いて帰る。時間にすると約二十五分ぐらいである。急げば、終電の時間に間に合うのだが、歩いて帰る。電車に乗った方が楽なのであるが、歩いて帰る。近くに駐車場でも確保すれば車で帰ることもできるのだが、歩いて帰る。それでも、エコポイントはつかない。横浜で呑んでいて、終電車を逃し、歩いて帰った時があったが、二時間かかった。それでもエコポイントはつかない。古本にエコポイントはつかない。当然、私にもエコポイントはつかない。
 「わたし、もう絶対に泣かないもん!」こう書くと、なんだか女の子の台詞のようだが、実は私の心の台詞である。それが、また泣いてしまったのである。恥ずかしいと思って、ここには書くまいと思ったが、ネタもないので、つい書いてしまうのであり、なんとも言えず私の悪いところである。
 昨日、夜がとても暇だったので寂しくなって、(私は結構寂しがりやさんなのである)独りカウンターでお酒を飲んでいると、いつの間にか飲み過ぎてしまい、恥ずかしながら独りカウンターの中で酔っ払っていたのである。呑むときは呑む。いつものような気もするのであるが、とにかくパソコンに向かって仕事をする気も起こらなかったのであって、呑むことしかなかったのである。
 ふと、そういえば先日の5周年記念パーティーでは、バタバタとしてしまい、参加してくださった方と満足に話もできなかったなあと思い、その時に僅かに撮影した写真を眺めていたら、ここに写っている素敵な方々は、誰も気づきもしないような、こんなケチでちんけな店に、そして、これまた、誰も相手にしないような、わけのわからない私の為に、普段から、そして、このパーティーにも、貴重な時間を割いてまで笑顔でお越しくださったわけだと考え、嗚呼、誰も相手にしないような私とこの店に、好んで来てくださるなんて! そう考えたら、言葉では表現できない程の感謝の念と感動が心の中に込み上げてきて、いつの間にか泣いていたのである。そして、遠方の為、いつも通信販売で本を買ってくださり、その際、ご丁寧なコメントをくださるお客さんのことなども想い出して、また涙が出てきたのである。
 創業から5年が経過したが、コーヒーとお酒が飲める古本屋というお店をつくってからは、まだ一年も経過していない。その間、「古本を扱っているのか、何をしているのかわけがわからない。気味が悪い」「どう考えても、この地でこの店が繁盛するとは思えない」「何を考えて、店を出したのか理解できない」など、嫌味を言われたこともあった。また、私は生まれつきマインド・リーディングが出来てしまうので、直接言われなくても、相手が何を思っているか、色々なところから分かってしまうのである。その度に、「わたし、もう絶対に泣かないもん!」と思って、怒りも寂しさもやり過ごしていたのである・・・・。そのように思われていながらも、とにかく好んで来てくださる方がいる。応援してくださる方がいる。そう考えるとまた、涙が出たのである。
 私は、お酒を呑んで泣いたことは生まれて一度もなかった。決して泣き上戸ではない。むかしも、そして今も。嗚呼、恥ずかしい。このようなことが書けるのも、実はお酒を呑みながら書いているからである。もう二度と恥ずかしいことは書くまい。この雑文は、明日になれば消去しているかも知れない。
 知っている方は、知っているのだが、数週間前から毎週水曜日を定休日とした。これは、お正月明けに体調を崩してしまい、一週間に一度ぐらいは、身体を休ませなければならないと思ったからなのだ。
 平日の休みというのは、日曜祝日に比べれば、何処へ行くにも空いていて都合がいいのだが、周囲の友人達とはどうしても時間が合わない。だから、常に単独行動を強いられることになる。単独行動の場合、メリット、デメリットがあり、デメリットからいえば、食事がつまらない。せっかく美味しい食事を食べていても、独りでボソボソと食べていては、なんとなく面白味に欠けてしまう。逆にメリットと言えば、本が読めるということである。何処へ行っても、食事をしながらでも、喫茶店にいながらでも、本が読める。これが、誰かと一緒だと、そうともいかない。
 休みの日は、いっぱい本を読もう、そう思っていたのだが、普段から就寝時刻がかなり遅いため、朝起きたら既に午後二時ぐらいになってしまっている。それから、ふにゃふにゃしている間に、いつの間にか夕方になってしまい、ちょっとテレビを見たりしていると、あらまあ、夜になっている。そして、意外と家では、集中して本を読むことができない。
 そのようなわけで、結構最近は、夕方ぐらいにお風呂屋へ出掛けることにしている。お風呂屋といっても、最近ではスパといわれている施設である。ここには、仮眠できる場所もあり、本を読むのには丁度いい。お風呂に入ってから、仮眠スペースで本を読み、また、お風呂に入っては本を読み・・・・、それを繰り返す。そして、いつの間にか眠ってしまい、気が付くと、結構時間が経過していて、慌てて帰り支度をする・・・・。
 そのようにあまり外部と接触しないで過ごすと、なにか世の中から隔絶されたような感じがして、ふと、少し寂しい感じがする。だから、帰りがけに、つい一杯呑んでしまう。立ち飲み屋で呑むこともあれば、知り合いのお店で呑むこともある。そして、したたかに酔いながら、眠りに就き、休日が終わってしまうのだ。
 昨日は、創業5周年のパーティーが、地味でケチな当店にしては珍しく盛大に行われました。多くの方にご参加いただき、誠にありがとうございました。この場を借りて、御礼申し上げます。
 さて、予想外に多くの方にお集まりいただき、我ながら驚きました。そもそも我々の創業の目的は、真面目な古本を真面目に売買しても、あまり面白くなく、勿論、本に囲まれるだけでも満足なのですが、さらに、いかに楽しく仕事をするか、いかにお客様に満足と楽しさを提供できるかだったのです。さらに根源まで辿れば、いかに楽しく充実した人生を生きることができるか、です。それらを追求した結果が、古本とカフェ、そしてバーという形態だったのです。つまり、会話です。やはり、本が好きな方と本の話をしたい。文学の好きな方と文学の話がしたい。色々な方と色々な話がしたい。その一点に尽きるのです。そして、通信販売専門で5年前に創業し、去年の5月に、ようやくこの形態の店舗をつくることができたのです。
 しかしながら、ここまで来るのに、山あり谷ありでした。元々が古本は儲かる商売ではありません。それでも、金銭には換算不可能な、お客様との出会いや会話など、色々と貴重なものを得ることができました。また、通信販売専門の頃から、支えてくださったお客様にも、メールなどで励ましを受けながら、ここまで辿り着くことができました。それから、関係者の皆様、改めて御礼申し上げます。
 さてさて、こう書くと、私のことをお喋り好きな奴だと思われる方がいらっしゃるかも知れませんが、そうではなく、意外と私は人見知りをします。ええ、そうなのです。意外と人見知りのシャイ・ボーイなのです。そして、お客様にも色々な方がいらっしゃいます。話をしたい方も、そうではない方も。だから、あまり私からは話しません。けれども一度話をすると、結構話します。ですので、ご来店の際は、積極的に私に話しかけてくださいませ。一度、ご来店くださって、私と話したならば、もう貴方は、しましまファミリーの一員なのです。(勝手にファミリーにするな! なりたくもない! と怒られそう・・・・)
 あなたは、今何処にいますか?
 ここにいますか?
 明日の明日は、明後日ではありません。
 明日は明日ではありません。
 昨日の昨日は、一昨日ではありません。
 昨日は昨日ではありません。
 常に、ここ、です。
 やっと動作を始めた、私。
 だから、記憶がないのです。必要ないのです。
 そんな私を抱きしめることができますか?

 うーん、昔から、物忘れをよくする私。本日も家から職場へ向かう途中に、タバコ屋でタバコを買おうとしたら、財布を家に忘れた。結構あることだから、仕方が無い。家に帰って、財布を持ち、再度タバコ屋へ行く途中、今度は携帯電話を忘れた。また、家へと帰って、再度出発。今度は、鍵も持ったし、財布はあるし、携帯電話もある。チェックは万全。鼻歌交じりで職場に着いたら、嗚呼、タバコを買うのを忘れた。本当にお恥ずかしい。だから、上記の雑文は、言い訳。

しましまブックスは、2005年2月に設立し、早いもので今年で5周年となります。

そこで、こじつけのようなものですが、「しましまブックス5周年記念パーティー」を行います。

2010年2月13日(土)19時より。しましまブックス店舗にて。

いつもと違い多少の簡単なフードをご用意します。これは、なんとサービス!! そして、お酒は、メニューの品、500円均一!! (500円のお酒は、400円にします)(ソフトドリンクは300円均一にします)古本も、参加の方はお値引きあり!  

 
                                               どなたでもご参加できます。お席に限りがあるのと、準備がありますので、あらかじめ、ご参加ご希望の方は、HPのお問い合わせ欄 https://shimashima-books.ocnk.net/contact
より、「しましまブックス5周年記念パーティー参加希望」と明記のうえ、お名前とお電話番号をお知らせください。
 
しましまブックス5周年記念パーティー
日時:2010年2月13日(土)19時より 
場所:しましまブックス店舗 横浜市旭区中希望が丘94-31 ノーブル希望が丘2階
   (相鉄線 希望が丘駅下車 徒歩3分)
 
いろいろな方と交流ができれば、一番だと考えます。皆さん、お誘い合わせのうえ、
ご参加くださいね。